こんにちは!
かつて「あーいとぅいまてーん」のギャグで一世を風靡したお笑い芸人のですよ。さん。
いつもネタ中ではですよ。さんの最近のことを紹介してくれていますが、実はかなりすごい過去をお持ちの方だったりします。
なんでも高校を卒業して芸人になるまでの間、ボリビアにサッカー留学に行っていたんだとか。
いったいですよさんの過去に何があったのか、詳しく見ていきましょう。
エンタの神様で一世を風靡したですよ。
【本名】斉藤哲也
【生年月日】1976年2月12日
【出身】東京都足立区
【血液型】AB型
【身長】175cm
かつてエンタの神様で「あーいとぅいまてーん」のギャグでおなじみとなったですよ。さん。
「ですよ。の最近は、あやまることばっか~」からはじまり「あーいとぅいまてーん」で終わるこの流れ。
実は今でもこのスタイルは変わっていないらしく、15年もの間ずっと謝り続けていたのは本当にすごいですね。
2019年には謝罪代行サービスなるものをスタート。
「あーいとぅいまてーん」のギャグをひっさげ、依頼人の代わりに謝りに行っていたそうです。
芸人であり、プロ謝罪師としても活動しています。
しかしですよ。さん、最近のことはいつもネタ中にお話ししてくれますが、実はとんでもない過去の持ち主でもあります。
芸人になる前はなんと、サッカー選手としてボリビアに留学していたことも!?
あの芸風からは想像できない、ですよ。さんの壮絶な過去とは。
芸人かサッカーで悩んだ高校時代
ですよ。さんがサッカーを始めたのは高校時代のころでした。
本当は小学生の時からサッカーにあこがれていたそうなのですが、当時のですよ。さんは自分の意見が言えない子だったらしく。
リーダー格の友人に言われるがまま、小学校では野球、中学校ではバスケをプレーしていたそうです。
ですが高校からはその友人とも離れ、念願かなって自分の意思でサッカーができることに。
高校からサッカーを始める子は少なく、最初は経験者との壁を感じていたそうですが、
帰宅後にも3時間の自主練習を課すなど、猛練習で追い上げます。
上級生になるころにはレギュラーとしてプレーできるくらいに上達したんだとか。
またその一方で3年生の時には文化祭でコントを披露するなど、芸人へのあこがれも強まっていきました。
実際にサッカー留学するまでは、芸人になるつもりで考えていたそうです。
ではどうしてサッカー留学をすることになったのか。
ですよ。さんは文化祭の後、本当に芸人になろうと一緒にコントをやった友達に声をかけたのです。
しかしその友達から帰ってきた一言が
「男は家族を養うために嫌な仕事でも60年間続けなければならない」
芸人なんてやっている場合じゃない、現実を見ろと。
友人からあまりにもリアルな言葉を投げかけられてしまいます。
しかしそこでですよ。さんは
「60年間嫌なことをやるんだったら、好きなことを30年やっていたい」
たとえそこで人生が終わろうと、好きなことだけをやっていきたいという
友人の言葉に対して180度真逆の感想を抱いたのです。
そこで本当にやりたいことは何かと改めて考えたところ、やはりサッカーに行きつきました。
高校ではうまくなったとはいえ、まだチーム1番というほどではなかったですよ。さん。
もっともっとうまくなりたい、プロへ行きたい。
そんな気持ちがだんだんと芽生えてきたのです。
サッカー留学でボリビアへいったですよ。
そこからのですよ。さんの行動もすごい。
サッカー留学ができる国を徹底的に調べ上げたのです。
どうやらブラジルに留学すると、600万円もの費用がかかるためそちらは断念。
そこでサッカー雑誌の出版社に電話をかけ、編集長の立場の人に「サッカー留学ができる国、ないですか?」と直接リサーチをかけたのです。
そして候補として教えてもらったのがボリビアでした。
当時のボリビア代表は、史上初めてW杯予選でブラジル代表を破ったチーム。
とても勢いがありました。
またボリビアには「オキナワ」という日系人の街もあるという点も大きかったのかもしれません。
それを聞いた時から、もうですよ。さんの心はボリビアにありました。
なんならその日のうちに出発するくらいの勢いだったみたいです。
親に「高校だけは出てくれ」といわれたので高校を卒業するまでは我慢しましたが。
卒業式の当日の夜にはもう出発していたくらい。
ボリビアで4年間プレー
こうして単身ボリビアへと出発したですよ。さん。
途中で出会った日本人の方にお世話になりながら、ようやくボリビアへと到着しました。
すると2日目にはもう地元のサッカーチームに入団していたそうです。
(その日本人の方がサッカー選手とルームシェアをしていて、そのチームに入れてもらった)
そこからは練習の日々を送ります。
出発時の所持金も5万円だけでしたが、現地のカラオケでアルバイトをしながらサッカー漬けの生活を送りました。
本当にすごい行動力ですね。
ただ現地では4年間プレーするも、プロになることはかなわず。
最後はチームの年齢制限を超えてしまったため、夢半ばで日本に帰国となりました。
すごすぎるですよ。の行動力
それにしてもすごい行動力ですよね。
自分で出版社に連絡して、留学先を見つけて…
しかもボリビアって治安が悪そうな印象があるので、普通だったら避けてしまいます。
そこをですよ。さんはためらわずに行くことができるのがすごい。
「自分のサッカーの実力で通用するのかな?」とか「危なくないかな?」ということも頭によぎらないこともないみたいですが。
それ以上に自分の「やりたい」という気持ちが最優先だったそうです。
子供のころに自分のやりたいことができなかった反動か。
それとも高校のときの友人の言葉の影響か。
それでもここまでやり抜いたのは本当にすごいですよね。
ちなみにボリビアから帰国した後も、サッカーをあきらめきれず。
Jリーグのチームに片っ端から手紙を送り、実際に徳島のチームに練習生として参加させてもらったこともあったそうです。
ただそこで膝の半月板を故障してしまい、ようやくあきらめが付いたんだとか。
そこからはNSCに入り、その数年後にはエンタの神様でブレイク。
とんでもなく濃い人生ですね(笑)
でも高校時代に抱いた気持ちの通り、本当に好きなことだけをしてここまでやってきました。
この行動力、そしてポジティブシンキング、見習っていきたいものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。