先日、登山家・栗城史多(くりきのぶかず)さんの訃報が飛び込んできました。
仲間からは「嘘つき」「下山家」と非難されていた栗城史多(くりきのぶかず)さんはエベレスト登頂を“単独無酸素登頂”というスタイルで挑戦されました。
誰も達成したことがない前人未到の大記録に挑戦しましたが帰らぬ人となってしまいました。
栗城史多さんが有名になったきっかけや今までの活動内容を調査しました。
更には今回の事故の経緯まで調べてみました。
まずはプロフィールから見ていきましょう。
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栗城史多のプロフィール
【本名】栗城 史多(くりき のぶかず)
【生年月日】1982年6月9日
【出身地】北海道瀬棚郡今金町
【出身校】札幌国際大学 卒業
【職業】起業家、登山家
【所属】株式会社たお 代表取締役
【スポンサー】よしもとクリエイティブ・エージェンシー
ご存じの方も多いかと思いますが昔自称“元ニート”として「進め!電波少年」にてブレイクされました。
名物プロデューサーの土屋敏男さん発案の企画「ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ」という企画で一躍有名人になりました。
本を出版されたりテレビ出演や講演活動によって収入を得るいわばプロの登山家でいらっしゃいます。
ただその登山の行程や方法について登山家仲間から疑問の声が上がることも結構あったみたいです。
専門的な見方をすれば道義に反することが多かったみたいで同業者からは登山家ではなく「嘘つき」とか「下山家」呼ばわりをされていたこともありました。
またご自身の活動を「冒険の共有」というタイトルでSNS等で配信されていました。
挑戦における失敗と挫折の共有というテーマで知名度アップやスポンサーへのアピールなどを兼ねていらっしゃったようです。
エベレストなど世界の山々の登山はかなりの費用が必要になるようですね。
装備を揃えたり渡航費用や現地スタッフへの給料や宿泊費、入山費用などもかかります。
思っているより多額のお金とその上コネも必要になるようです。
ただ単純に「エベレストに挑戦する」と言っても知らない苦労がたくさんあるようですね。
その資金を集めるためにはスポンサーの存在が欠かせません。
そのスポンサーへの営業活動もご自身で担っていらっしゃったようです。
あまり知られていませんが、登山家としての側面よりもビジネスマンとしての側面の方が才能があったのです。
過去2012年にエベレスト登頂を目指しましたがこれも失敗に終わります。
その登山もSNS投稿の目的でスマホ操作をするためにオープンフィンガーの手袋をしていたみたいです。
極寒の地では当然肌を露出することは厳禁です。
下山途中に凍傷になられ9本の指の第二間接から先と鼻の先端を失います。
それでも栗城史多さんは山に登ることをやめませんでした。
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単独無酸素登頂とはいったい何?
エベレスト登頂のルートは大きく分けて3つあります。
- ネパール側からの南東稜ルート比較的難易度は低い
- 中国・チベット自治区側からの北稜ルート比較的難易度は低い
過去にも芸能人(イモトアヤコさん等)が数人成功させているルート
- 断崖絶壁を登る南西壁ルート最難関の難攻不落ルート
今回栗城史多さんが登ったルートが最難関のルートである南西壁ルートです。
ちなみに登山をよく知らない人は「単独無酸登山」と言われてもその難易度はピンとこないですよね。
少し説明します。
まずは酸素ボンベを利用する意味から。
酸素ボンベは重量が10kgと相当重いんです。急傾斜を登るとなるとこの重さはつらいらしいです。
もちろん持つべき荷物は酸素ボンベだけではないので荷物は少しでも軽い方がいいんです。
酸素ボンベを担ぐ目的は高山病の回避だけではなく活動量の確保もあるみたいですよ。
富士山の標高が3776mです。
5000mを越えると酸素が地上の半分ほどになります。
そして標高8000mの世界の酸素は地上の3分の1になります。
この世界では1歩登るのに地上で50m走をダッシュした後のように息切れがするらしいです。
酸素不足で辛いのはそれだけじゃなくて激しい頭痛も辛いみたいです。
経験者はその痛みを「脳みそが絞られる」と表現するような痛みらしいです。
しかも酸素不足は思考能力も低下させます。
単純な足し算すら出来なくなるぐらいに思考能力が落ちます。
高山病はそんな状態で呼吸困難から肺水腫に発展し、最悪の場合死ぬケースすらある恐ろしいものなんです。
この内容をお読みいただければ“無酸素ボンベ登頂”の難易度を想像していただけるかと思います。
[ad]もうひとつ、単独登頂というものについても説明しておきます。
通常は今まで登った他の登山者のルートを使うことが一般的です。
あと、芸能人によく同行している人たちがいると思います。
その人たちは登山ガイドという「シェルパ」や荷物運びをする「ポーター」と呼ばれる人たちだそうです。
単独登頂とはこれらの人を同行させることが認めれらません。
この2点からもお分かりいただけるように今回の栗城史多さんが挑戦したエベレストの単独無酸素登頂は世界でもっとも過酷なものだと言えます。
因みにこれまでこの挑戦に挑んで成し遂げた人は1人も存在しません。
それだけ難しいことなのですね。
期待とプレッシャーという光と影
「ニートのアルピニスト」として知名度を上げた栗城史多さん。
実際のところニートではなかったんです。
しかし「ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ」というキャラクターで認知され、そのスタンスは多くの同じような若者から共感を得ます。
「電波少年」出演からこのキャッチフレーズが一人歩きしていきました。
ご自身の意思とは関係なくそういったキャラクターを周囲が求めるようになります。
資金集めのための活動は資金以外に「人気」という世間の期待も引き寄せてしまいます。
指を9本失っていらっしゃいますので登山のためのピッケルという道具もまともに掴めません。
こんな状態で難攻不落のルートに挑むことが無謀であると専門家からは言われていました。
もしかするとご本人にも自覚していたんじゃないかなって思ったりします。
それでも栗城史多さんを挑戦に駆り立てたのは何だったんでしょうか。
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どうして今回の事故が起きたのか
専門家や同業者からは「無謀な挑戦ゆえに起こってしまった悲劇」とされています。
ではなぜ栗城さんはそんな「無謀」に挑もうとしたのか?
一つはご自身の背負った「期待」が大きな要因な気がします。
もうひとつはご自身の「登山家としてのプライド」があると思います。
いちばん大きな理由は大きな企画が動いていた事です。
莫大なお金や多くの人が既に動きだしていて後戻りできない状態にあったんだと思うんです。
そこにご自身の使命感がリンクして引く引けない現実があったんじゃないかなって感じます。
この挑戦の直前には親しい友人に「自分には登山しかない」と覚悟を話していらっしゃったみたいです。
それと同時に不安な心境も語っていらっしゃったみたいです。
もしかすると追い込まれていたのかもしれないなって気がしてしまいます。
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栗城史多が成し遂げた偉業とは
栗城史多さんが成し遂げた偉業はたくさんあります。
登山家としての記録もありますが、何より多くの人に勇気を与えたことです。
それともうひとつ。
何故「無謀な挑戦をせざるを得なかったのか」を考えるきっかけを作った事です。
これは登山家や冒険家だけの話ではない気がします。
芸能人もスポーツ選手も著名な人には全員に言えることだと思います。
期待に応えたいと頑張る本人と期待する周囲が必ず存在します。
そこに失敗を認める文化や「もういいよ」と赦す気持ちがあって欲しいなって願います。
一部分だけでもこういう事が話題に上がり続けることが今後の道しるべのひとつになったりしたらいいなって思います。
最後に、栗城史多さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。