こんにちは~
川田裕美さん、フリーになってからもバラエティ番組で大活躍してますね!
局アナからフリーになった方のなかでも大成功の部類じゃないでしょうか。
そんな川田裕美さん、大阪出身なのは知っていたのですが大学は和歌山なんですね。
ツイッターやブログでもたまに話題にしていますし、充実した大学生活だったのでしょうか。
今回は川田裕美さんの大学時代に迫ってみました。
川田裕美のプロフィール
【本名】川田裕美(かわた ひろみ)
【生年月日】1983年6月22日
【血液型】B型
【身長】158cm
【出身地】大阪府泉大津市
【出身高校】大阪府立三国丘高校
【出身大学】和歌山大学経済学部
【活動】フリーアナウンサー
【所属事務所】セント・フォース
川田裕美さんはもちろん大阪生まれ大阪育ち!
…というわけではなく、生まれは大阪市住之江区ですが、お父さんの仕事の都合で名古屋や北海道にいたこともあったそうです。
その後は大阪府泉大津市に落ち着いたみたいですね。
高校は大阪府堺市にある大阪府立三国丘高校に進学。府内でも屈指の実績を誇る進学校です。
2018年の入試実績を見てみたら京都大学が25人(うち現役16人)、大阪大学が43人(うち現役31人)というものすごい数字が出ていました。
ただ川田裕美さんも、この三国丘高校では成績も少し埋もれがちだったとか。
川田裕美さんがダメというよりは周りがすごすぎたのでしょうね。
和歌山大学で地域活性化について学ぶ
そして大学は和歌山大学経済学部へと進学します。
高校で埋もれがちだったという割には、当たり前のように国公立大学に進学できているのがすごいです。
和歌山大学というと、観光学部のような珍しい学部も設置されていたりしますね。
その中でも経済学部はかなりの歴史を誇り、多くの著名な卒業生を輩出してきました。
川田裕美さんは大学では「地域活性化」について学んでいたそうです。
ツイッターやブログでも公言しているように、足立基浩先生のゼミに所属し、さまざまな活動を行っていました。
足立基浩先生は「地域再生・街づくり」を研究されている方ですね。
和歌山大学では特に中心市街地にある商店街の復興を目指して取り組みを行っているそう。
大学で授業がない時もテレビ番組に出演し、まちづくりに関しての多数の情報やコメントを寄せているほど、この分野では影響力の大きな人物のようです。
しかも家柄もすごく、曾祖父は第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎とのこと。
そんなすごい先生のもとで、川田裕美さんは学んでいたんですね~
川田裕美さんは主にネットラジオでの活動やゼミ生が行うカフェ経営などに携わっていたようです。
ネットラジオでは主に地域の情報を発信し、カフェでは地元でとれた野菜やフルーツなどを使ったメニューを提供していたとのこと。
川田裕美さん、今でもブログやツイッターで和歌山のフルーツだったりを紹介してくれていますよね。
卒業後も愛にあふれているのがよくわかります。
ちなみにネットラジオは2012年に終了となりましたが、カフェの方は2018年現在でも現役の学生さんたちが活動しています。
和歌山大学じゃなければアナウンサーになってなかった!?
こういった活動を続ける中、3年生の時にアナウンサーを目指すようになったそうです。
それまでも声を褒められることが多く、中学時代にはアナウンサーという職業に対してぼんやりとした憧れはありました。
ですが3年生になって進路を考えたとき、テレビやラジオに出演する足立基浩先生の姿を見て、再びアナウンサーへのあこがれが復活していったとのこと。
当時アルバイトをしていた焼き鳥屋の店長から「よく通る声やな」といわれたことも大きなきっかけになったみたいです。
そこからは、ネットラジオでさらに喋りに磨きをかけ、大阪のアナウンサースクール「生田教室」にも通い、アナウンサーになるべく努力を重ねていきます。
ただ、現実は厳しいものでした。
東京のキー局を受けるもすべて2次選考までで全滅。
夜行バスに乗り、漫画喫茶でメイクをしてまで挑んだ試験なのにあっけなく落とされてしまい、一時は心が折れかけたそうです。
周囲にはアナウンサーじゃなくてほかの会社も受けてみたらという方もいたそう。
それでも足立基浩先生だけはずっと川田裕美さんの背中を押し続けてくれたそうで、最後は大阪の「よみうりテレビ」のアナウンサー試験に合格。
晴れてアナウンサーになることができました。
こうしてみると、川田裕美さんは足立基浩先生にすごく大きな影響を受けているみたいですね。
和歌山大学じゃなかったらアナウンサーになってなかったかもしれません。
和歌山大学で大事なことを学んだ川田裕美さん、これからも和歌山の魅力をたくさん伝えて、和歌山を活性化させてほしいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。