こんばんは!
みなさん音楽は聞いていますか〜?
年末年始とテレビばかり観てた(笑)んですが、懐かしの曲が流れたりしますよね。
今回は「ええ〜い〜やぁ〜、君からもらいなき」…でお馴染みの一青窈さん。
カラオケの定番曲でトップ3には入るでしょう!
皆さんもよく聞く懐メロだと思いますが、意外と知らない一青窈さんの素顔。
そんなところに迫っていきたいと思います!!
一青窈さんのプロフィール
【名前】一青窈(ひとと よう)
【中国名】顔 窈(イエン ヤオ)
【生年月日】1976年9月20日
【身長】155cm
【出身地】台湾
【出身校】慶應義塾大学環境情報学部 卒
【職業】歌手、作詞家、俳優
【所属事務所】株式会社 大家(ターチャー)
【所属レーベル】EMI RECORD(2013年~)
2002年の『もらい泣き』で大ブレイクした一青窈さん。
今でこそ当たり前に読めちゃう漢字ですが、もし歌手じゃなければ名前を正しく読める人はそうそう居ないのではないでしょうか!?
これが本名なら、かなり珍しいですよね。
気になったので調べてみました!!
まず一青窈さんは、台湾生まれということをご存知でしたか?
中国の漢字名で『顏 窈』(イエン・ヤオ)という名前だそうです。
『顏』は父親の性で、『一青』が母親の性。
日本では母親の『一青』という名字に父親がつけた『窈』で、『一青窈』。
つまり本名なんですね〜!
ちなみに『窈』という字は、”知的で美しい“という意味があるそうですよ♩
そして一青窈さんにはお姉さんがいます。
一青妙(ひとと たえ)さんと言って女優と歯科医師というふたつの顔をもっています。
さらには『私の箱子』で作家デビューもしていて、姉妹揃って多彩な才能を持っているんですね〜。
話は戻りまして、台湾人の父と日本人の母を持つハーフなんですが一体いつから日本に在住したのでしょうか??
生い立ちを調べているうちに、すごい事が分かりました♩
一青窈の生い立ちが凄い
まず一青窈さんの父親は、台湾の五代財閥のうちの一つである顔一族の長男なんだそう!!
金鉱経営で成功し、いわゆるお金持ちなんですね。
いいな〜、実家がお金持ちってある意味最強な気がします(笑)
戦中から戦後、日本に長く滞在していた時に一青窈さんの母親と出会い結婚。
幼稚園までは台湾で過ごしていましたが、その後日本に在住!
しかし日本に来て2年後、一青窈さんの父親は56歳という若さで亡くなっているそうです。。
一青窈さんは当時8歳だったそうで、とても寂しかったでしょうね。
さらには母親も一青窈さんが16歳の時に他界。
一青窈さんの歌は、実体験を基にした歌詞ばかりで両親のことを想った歌などもリリースされていますよね。
早くに両親と死別している一青窈さんですが、幸い裕福な家庭だったため慶應義塾大学環境情報学部(通称、SFC)に進学します!
(同級生にはあの有名建築家の柄沢祐輔さんがいたそうですよー!)
デビューのキッカケ
音楽に興味を持ちアカペラサークルに所属していてストリートライブなどを行なっていたそうですよ〜!
あの歌唱力ですから、かなり本格的なストリートライブだったに違いないですね!
複数の音楽サークルを掛け持ちしていた一青窈さんは、そのうちのひとつのサークルでゴスペラーズの北山陽一さんと出会います。
実体験を基にした詩を北山陽一さんに見せたところ大絶賛されたそうで、北山陽一さん自ら『これに曲をつける!』と提案してくれたそうです!
そして福祉イベントで歌を披露した際にスカウトされたのがデビューのキッカケに!
『もらい泣き』や『ハナミズキ』は大ヒットとなりました!!
とくにハナミズキは、カラオケの履歴検索で必ずと言っていいほど見かけますね〜。
わたしもよく歌います♩
カバー曲ですが『昼顔』の主題歌も良かったですよね〜!
一青窈さんの歌声には、なぜか引き込まれちゃいます!
裕福な家庭で育ち、いわゆるセレブな一青窈さんですが早くに両親と死別したことで苦労もたくさんあっただろうと思います。
現在、二児の母となった一青窈さんですが幸せな家庭を築いてもらいたいですねっ!
以上、一青窈さんについてでした〜!