こんにちは!
2022年シーズン、北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎選手がホームラン数の自己記録を更新し、2桁に乗せました。
まだまだ好不調の波の激しさや得点圏打率で苦言を呈されることも多いですが、あの弾道のホームランを打てるのはやはり魅力的ですよね。
そして清宮幸太郎選手が打ったり打たなかったりすることで、再度注目を浴びつつあるのがこの数字。
208 22 37
この数字を見てピンときた方は、相当なプロ野球フリークですよね。
2003年シーズン、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の古木克明さん残した成績です。
なぜこの成績が注目を集めているのか、そして古木克明とはどのような選手だったのか。
当時を振り返っていきましょう。
自己最多のホームランを放った清宮幸太郎
BIG BOSS監督のもと、2022年シーズンを迎えた北海道日本ハムファイターズ。
中でもキャンプ中から注目を集めていた選手といえば、清宮幸太郎選手でしょう。
ご存じの通り、早稲田実業時代は高校記録を塗り替える111本塁打を記録したスラッガー。
しかしプロ入り後は満足のいく結果が残せず、苦しいシーズンを送っていました。
2021年シーズンはプロ入り後初めて1軍出場なしに終わり、いよいよ首が涼しくなってくる頃かと思いきや。
そんな清宮幸太郎選手にBIG BOSSはまずダイエットのアドバイス。
清宮幸太郎選手もそのアドバイス通り、見るからにすっきりとした姿に生まれまわります。
するとどうでしょう。
飛距離はそのままに、動きのキレが格段に良くなったではありませんか!
これまでの自己記録だった7本塁打も6月で更新し、一気に2桁本塁打にまで乗せたのです。
あんなに美しいホームランを打てる選手、そうそういませんよ。
まだまだ好不調の波の激しさや、得点圏打率の低さなども指摘されていますが、少しずつ成長を見せているように思います。
清宮幸太郎が活躍するほどあの成績がさらされる?
清宮幸太郎選手がホームランを2桁に乗せた(10号ホームランを打った試合・2022年7月7日)の成績は
.240(200-48) 10本塁打 20打点
出塁率は.332もあり、長打率も.485、OPS(出塁率+長打率)は.817と悪くない数字を見せています。
ただ10本塁打に対して20打点というのはやっぱり気になってしまいますね。
得点圏打率は.161と低く、粗さも残っています。
そして清宮幸太郎選手が打ったり打たなかったりすることで注目を集めるのがこの数字です。
208 22 37
2003年に横浜ベイスターズの古木克明さんが残したこの記録。
詳しく書くと“打率.208(351-73) 22本塁打 37打点”という数字になります。
低すぎる打率もさることながら、本塁打に対してあまりにも少なすぎる打点数。
実際に2022年シーズンの清宮幸太郎選手のホームランはすべてソロであり、打点があまり稼げていません。
そのため、このままいけばこの成績に類似した数字になるのではないかと予想されているのです。
横浜の一時代を築いた古木克明
古木克明さんも印象に残る選手でしたよね。
80年生まれのいわゆる松坂世代。
愛知県の豊田大谷高校時代は2年生・3年生の時に夏の甲子園に出場しており、2年の夏は2本塁打を放つ活躍を見せました。
高校通算本塁打は52本。
そして98年のドラフト会議にて、1位指名を受けて横浜ベイスターズへと入団しました。
ルーキーイヤーから2軍の主軸として起用され、4年目となった2002年ごろから1軍での出場が増え始めます。
当時は鮮烈なデビューを飾りましたよね。
相手球団の主戦投手を次々に打ち砕き、最終的な成績は
.320(100-32) 9本塁打 22打点
という好成績。
例の成績は2003年のものですが、その前年にはこれだけの活躍を見せていたのです。
ルックスも良く、将来のスター選手候補として期待されていました。
また2004年や2006年にも、
2004年:94試合 .290(185-54) 11本塁打 27打点
2006年:110試合 .252(298-75) 10本塁打 35打点
と、好成績を収めています。
2003年の成績だけがピックアップされがちですが、しっかりと成績は残していたんですよ!
ただ特に2004年は打高の年でしたよね。
ファーストにはタイロン・ウッズ /.298(476-142) 45本 103打点
サードには村田修一さん/.242(326-79) 15本 38打点や種田仁さん/.300(410-123) 8本 52打点
外野には金城龍彦さん/.302(486-147) 13本 52打点、多村仁さん/.305(449-137) 40本 100打点、佐伯貴弘さん/.322(463-149) 19本 57打点と鉄壁の布陣。
ここに割って入るのは至難の業だったことでしょう。
2006年も村田修一さんの4番定着/.266(545-145) 34本 114打点、吉村祐樹さんら若手選手の台頭/.311(396-123) 26本 66打点
古木克明さんの守備のまずさもあって、ポジションを確固たるものにすることはできませんでした。
記憶にも残る選手だった古木克明
またプレー以外でもネタに富んだ選手でもありましたよね。
例えば小学校の卒業文集では、将来の夢はプロ野球選手としながらも行きたくない球団に「ロッテと大洋(横浜ベイスターズの前身球団:大洋ホエールズ)」を挙げていたり
しかもなぜかそれがトリビアの泉で取り上げられたり。
さらに石井琢朗さんへの年賀状で「琢」の字を「豚」と書いてしまい、「石井豚朗」さんあてに送ってしまったりなど。
天然なところがたっぷりと紹介されていました。
また2009年に現役を引退してから、格闘家へ転身したことも話題になりましたよね。
2年間のチャレンジで1勝をマーク。
野球選手時代にはあまり披露する機会のなかった美しい肉体も見られました。
このようにキャラクターや引退後も印象に残る人物だった古木克明さん。
だからこそ、20年たってもあの成績が語り継がれているんだと思います。
清宮幸太郎選手の活躍によって成績が掘り起こされることが多くなった古木克明さん。
これからもプロ野球ファンの記憶に残り続けることでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。